2012年11月18日

いつしか 阪神大震災 の記憶が 奮起剤、いや、責任感 に

どうも、ITマスターです。

今回はちぃーっと真面目なお話。

人生の中で苦境に立たされた時、今までで苦しかったことを思い出し踏ん張るなんて事、良く聞きますよね。

それは、実体験の中から来る事が多いので、体育会系の人は粘り強いとか言われる事が多いとは思います。

私も体育会系でしたが…。しかし、多感な十代最後から二十代にかけて、あまり普通の人がその若さではいっぺんに体験しないような苦難の重なり具合で、自身の苦しさとしては、これから先それが一番の奮起剤になるだろうと思っていたのですが、実際は違うような気がします。

本人の苦悩なんてちっぽけと思う出来事…それが阪神大震災の直撃でした。

幸運な事に、激震区の割には何とか住処の破壊から免れ、親族や親友が…でもない…ので、その当時は震災以外の苦悩の方がキツかったのですが…

しかし、今となっては人生の苦境に立てば立つほど、震災の事が頭に浮かぶのです。

あの時、人生が終わっていても不思議ではなかったと。

漠然とではあるけども、生かされてるという感覚。この生まれ育った街を破壊され、そこから復活させる為に、生き残った自分達に何ができるか…

残された私達は、無駄に生きてはならないと、そう思った十代最後。

この思いは、辛い事が起きれば起きるほど、そして、05:46の時計の針の形を見るたびに…

そう、あの時に二回目の人生が始まったと言っても過言では無い、そんな感覚…

これが私にとっての奮起剤…と言うよりも、生かされている者の責任のような気がして、何とか踏みとどまれている気がします。

non_alcohol_bar05:59コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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